農家や酪農家がいなければ野菜も肉も食べられないと言うことを忘れてはいけない。
漁師がいなければもちろん魚が食べられない。
様々な分野の職人と呼ばれる人がいなければ、世の中の大半のものがなくなる。
こうした社会に対して生産性のある仕事がいかに大切か再認識すべきである。

株などの投資によって莫大な利益を得ることができても社会に対して何の生産性もない。

投資によって大もうけした人や組織がもてはやされ、若い人がそうしたマネーゲームにあこがれ就職もせずに金儲けに走るようでは社会構造が崩壊してしまう。

生産性のある仕事が存在してこそ、投資などのビジネスが成立するのであり、生産性のある仕事に若い人があこがれるような魅力が必要なのである。

つまり、何の生産性もないマネーゲームより生産性のある仕事のほうが儲かるようにすべきなのである。

たとえば、生産性のあるビジネスによる企業の利益に対する税率を大幅に引き下げるとともにそこに勤める従業員の税金も引き下げる。
一方、生産性のないビジネスによる利益に対しては税率を高くし、従業員の税金も高くするのである。
これは極端な話かも知れないが、実業を何らかの形で優遇することは必要なのである。

小学生に株の取引を教えるのも社会の構造を知ると言う意味で否定はしないが、生産性のある仕事の大切さを教えることも忘れないでほしい。

馬鹿らしくて商品を誰も作らなくなったらいくら金があっても役に立たないのある。

今話題の阪神と村上ファンドの件もそうだが実業と虚業の争いで実業が虚業に飲み込まれると言うことは、実業で汗して働いた人たちの稼ぎ出した利益を、何の仕事もしていない人間にもっていかれることを意味し、法律的には合法であってもなんとも不愉快な話である。